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Galaxy 沿革 |
ある人曰く、「遠くジャカルタにまできて、BIG
BANDを結成しようと考えた人は偉大だ」と。その偉大な人は、初代バンマスで、創設者の村山圭司氏でした。彼の人生は常にトランペットと一緒にあり、中近東勤務の時もバンドを結成。ここジャカルタ駐在時代もバンドを結成しました。バンドの名前「GALAXY」もトロンボーンの片岡紀夫氏とジャカルタの夜の街を飲み歩いていた時に、思い浮かんだのでした。
そうして、94年に結成されたGALAXY、最初の頃はメンバー集めも簡単ではありません。Jakarta International Schoolの日本人生徒達も応援に駆けつけてくれて、譜面もそこからコピーさせてもらうなど、苦労が続きます。ドラマーがいないため、プロを雇うとの目論見も失敗に終わり、米国大使館勤務のアメリカ人が応援にきてくれていたことも懐かしい記憶です。当時のインターナショナルスクールからの参加してくれた高校生の中からは、GALAXYから米国のバークレイ音楽院に留学する人も、2,3輩出。将来が楽しみです。
さて、2代目のバンマスは西平守樹氏。彼は、ジャカルタの日本人医療相談室の先生として赴任してきました。強力なアルトサックスです。このバンマスのエネルギッシュで豪快な活動によって、メンバーも徐々に増えてきました。女子高生が次から次へと去っていく中、今度は主婦のお母さんプレイヤー達が入ってきました。この頃、渡辺貞夫さんに一回指導して頂いたことがありました。バンドにとって良い思い出となっています。また、その頃、ヤマハ音楽教室の先生を指導する先生である、プロの名ドラマー中川淳一郎夫妻が参加され、このあたりからメンバーは本格的な音楽の指導を受け始めました。名簿作成や譜面整理作業なども進展し、GALAXYがジャズバンドとして形が出来ていく時代です。三代目バンマスの名井協氏、元早大ハイソの名トランペッターの時代がそうです。この時代からコンサートマスターを設けるようになりました。初代コンサートマスターは前出の中川氏でした。現在は塚本郁夫氏(トロンボーン)が2代目のコンサートマスターです。この塚本氏のレッスンで基本的な「Galaxy
Syncopation」と言われる独特なジャズのノリが身について来ています。
以上が沿革の概要ですが、このバンドの形成には、前出の方々だけでなく、プレイヤーは勿論、その他家族の方々の「縁の下の力持ち」(初代マネジャーの細川悦子さんを始めとした)によってなされてきたことは言うに及ばないことです。名井バンマスの名言「ジャズは良き演奏者が良き教師である」(雑誌太陽98年8月号への寄稿より)の通り、演奏技術だけでなく、生き方も良き演奏者から学ぶことが多いバンドです。
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